笠置山ハイキング(前編)
早春に笠置山と笠置町をハイキングしてきました。
目次
今年の厳冬もようやく終わりの気配を感じるようになってきました。京都府南部に位置する古刹、笠置山でハイキングしてきたので、その模様を紹介したいと思います。
カメラはSONY αⅡ(デジカメこれしか持ってない)、レンズはCine-Nikkor 50mm f1.8です。最近入手した人生初のシネレンズ、どんなうつりをしてくれるのか非常に楽しみです。
笠置町は京都府南部、奈良県との境界に位置する、自然や史跡に囲まれたのどかな町です。また京都府で最も人口少ない自治体とされています。
今回訪れた笠置山・笠置寺の他、木津川沿いの笠置キャンプ場なども人気のスポットです。
2022/02/19 旅程表(前編)
コース図
旅行記
笠置駅をから出発!
笠置山はJR関西本線、加茂駅の一本東の駅です。京都や奈良方面から電車でアクセスする場合、加茂駅で
に乗り換える必要があり、加茂駅で多少待つことになるので注意が必要です。
えらくエンジンの音が大きくて古風なワンマン電車でした。
駅を出ると戦の最中の人形が出迎えてくれます。笠置山は鎌倉幕府と後醍醐天皇の決戦である元弘の乱の舞台となった場所であり、その模様を再現してくれています。
笠置山登山開始
歩いて程なく笠置山登山口に着きました。笠置山は府の自然公園に指定されているほか、
にも登録されているようです。
登山口からは車道か歩道(山道)を選ぶことができますが、私は歩道を選びました。登り始めからすぐ急な坂道!鎌倉幕府軍もこの急な地形がつくる天然の要塞に苦しめられたと言われています。
道中にはお地蔵さんも。信仰の山なので古くからおかれているものなのかもしれません。
山の中腹には民家がありました。昔ながらの建物の屋根によく見られる「水」マークは関西でよく見かけますが、火伏せのまじないとして取り付けられたものだそうです。
だいぶ上まで登ってきたところで、山道のすぐ脇に今にも転がり落ちそうな巨石がありました。
笠置山はこのように、
しており、古くから巨石信仰、山岳信仰の対象となっていたようです。
笠置寺
ようやく笠置山に到着。こんな険しい山の上で良く維持されておられるもんだと関心します。
笠置寺は、笠置山を境内とする仏教寺院です。飛鳥時代、天智天皇の時代に本尊の弥勒摩崖仏が彫られ、天武天皇の勅願により建立された寺院が起源という、古いいわれがあります。
平安時代後期には末法思想の流行を背景に大いに盛隆し、鎌倉時代には解脱上人が長く住まわれましたが、鎌倉時代後期、倒幕に失敗した後醍醐天皇をかくまったことにより兵火に見舞われ、ことごとく寺院が消失したようです(元弘の乱)。
その後再興・衰退が繰り返されるも、当時の規模にまで復興されることは無かったとか。
東大寺二月堂で毎年3月に行われる伝統行事、お水取り(修二会)も本寺が起源と言われています。
笠置寺には、
があります。鎌倉時代の作で、日本では珍しい中国式の特徴を持った鐘のようです。この鐘を突くことができるのは、大晦日の時だけみたいです。大晦日にこんな山奥まで登るのも大変だな…現代では車で寺までアクセスできるので、この鐘を突きたい方は大晦日に車で笠置山に行くのをお勧めします。
ここからは笠置山修行場エリアです。入山には
がかかりますが、折角ここまで来たのだから、入ってみましょう。
修行場内にも巨石がごろごろしています。写真は石造十三重塔、鎌倉時代末~室町時代の作。
そしてこれが御本尊、弥勒摩崖仏です!
戦火に見舞われ、残念ながら現在では光背の窪みが確認できるのみです。
近くにはこれも巨石に描かれた摩崖仏、虚空蔵摩崖仏があります。いずれの摩崖仏も中国の山西省雲崗の摩崖仏に通ずる特徴があることから、
と考えられているようです。
清水寺のように真っ暗ではないですが、胎内めぐりと呼ばれる岩がありました。
ゆるぎ石は、元弘の乱の折、斜面を登ってくる鎌倉幕府軍の兵士に向けて転がすために意図的に崖の上におかれた岩といわれています。
ゆるぎ石を過ぎた先にある平等岩は、
でき、とても気持ちいい場所でした。
いち早く春を告げる花、ヤブツバキが咲いていました。
(後編へ続く)